転職戦争

転職戦争

働かざる者食うべからず

1度目の転職(長文謝罪)

 

  

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もうすぐ2度目の再就職を果たすにあたり、今後何回かにわたり《なぜ転職しなければならなくなったのか》や《転職活動時に起きた問題》を自己反省を踏まえ書き出していこうと思う。

 

今回は最初の転職に至った経緯について。

ドス暗い自叙伝のようになってしまったので、

そういうのは興味ないという方は読み飛ばしてくれてもいいかもしれない。

長いし。

次からはワンテーマで要点絞れるよう頑張ります。

 

 

あとひとつお断りをしなければならないのは、例えばこのブログを見てくださる方が

『今すぐ転職を成功させるようなノウハウが知りたい!』

というような場合、お役に立てることは少ないと思う。同じようなことをプロフィールにも書いているが、ここに書くものはあくまで僕の実体験に基づくもので、万人に受け入れられるものではない。どちらかというと、転職活動がうまく進んでいない人がたまたま目にして

『ああ、自分と同じ失敗をしてるな』

『気持ちわかるな』

と思ってもらえたら気休めになるかもしれない程度のものだ。ただ、過去の僕と同じような接客業に現在いる方々には、今後転職するかどうかの判断材料のひとつにはなるかも知れない。

 

また、前回以前の記事も見て下さった方には急に堅苦しい文章になったように感じるかもしれないが、テーマがテーマだけに僕も真面目にかかなければと思っており、そのためこのような書き方になっている。決してふざけてはいない。

 

1度目の転機【早期退職】

 

転職は考えていなかった

去年、40歳を目前にして20年勤めた会社を退職した。

会社は某大手フランチャイズの複合店舗を全国で運営しており、俗に言う大企業の分類に入っていたと思う。

職種としては販売・接客業。

アルバイトから入社し、正社員、店長とステップアップした。

入社した頃は業界的にもまだまだ伸びしろがあり、店長になってからもしばらくは、この先転職するなんてことは正直考えていなかった。

ただ少し置かれた状況に問題があった。僕が所属していたのは会社でも少数の部署で、会社の全体の8割は飲食事業が占めていたのだが、何が問題かは後述する。

 

事業の縮小

ちょうど10年ほど前、全社員参加の会議開催が通達された。内容としては、事業を整理するために早期退職者を募るというものだった。

早期退職というのは、平たく言えば

《会社がちょっと傾いてきたので人員整理のために退職金にちょっと色付けてやると囁いて引っかかった馬鹿なヤツらを振るいにかけて辞めさせる制度》だ。

正直そこまで会社が傾いているとは思っていなかったので寝耳に水だったが、以前から経営陣は事あるごとに

売上100億円企業を目指す!

と豪語し事業を拡大してきたので、それがうまくいかなかったということだろう。他人事のように言うが、当時の僕は自分の部署以外の他事業に本当に興味がなかったし、決算書や財務諸表を読む力も不足していた。だからこういう会社の危機にどう動くべきだったのか、この時点で本当に正しい判断ができたという自信は無い。別の機会に掘り下げようと思っているが、どんな職種であれ、こういった判断力があることが転職活動を成功させる能力のひとつだと今は思う。

ターニングポイント

当時の僕は店長になり2年目ぐらいで、一通り仕事もこなせる自負があったのだが、逆行するように出る気持ちがあった。それは

この仕事、いつまで続けられるんだ…?

50歳になって接客業って体力的に続くのか…

将来この事業は生き残るのか…

そんな、おそらく誰でも浮かぶ不安が出た。しかも僕らの事業に陰りが見え始めていた、そんな時に湧いて出た早期退職の話。

漠然と、これは転機だなと思った。後々思えば危険な思想である。そしてなぜか

「やはり定年まで安定するなら事務職だな…」

と考えた。当時は、座り仕事なら老いても大丈夫だろうし事務仕事もまぁこなせるだろ、などと安直に考えていたんだと思う。ただ、まったく根拠が無いかと言えばそうでもない。接客業全てに当てはまるわけではないが、店長という仕事は現場だけでなく、本職ほどではないが事務作業も多々行う。それこそ経理・総務・労務にわたるまでに。なので事務職でもある程度できる自負があった。

選ぶ道としては、本社の事務へ異動を頼み出るという選択もあった。だが早期退職を募るような会社で大丈夫なのか?という不安と、元より初めからその道は閉ざされている可能性があった。それは先程述べた部署の規模の問題が理由だ。僕の所属してきた部署というのは会社からみれば少数派で、会社の大部分は飲食業が占めている。僕を含め僕の所属する部署の人たちが能力的に飲食事業出身者にひけをとっているとは到底思えないが、本社経営陣から見れば

あの事業って何かよくわからん

ということらしい(というかよく言われた)

つまり経営陣にとって仕事内容や能力が測りやすい事業出身者のほうが何かと有利ということだ。だから、飲食業を通らず今に至る僕は将来的に本社に招聘されて事務職へ鞍替えするのは難しいのではと考えられた。過去にあったのは1例だけだ。

同じ会社の中で「こうなりたい」という将来図を描くなら、なるべく早く根回しが必要なのかも知れないと今は思う。なので、僕は本社へ招聘される道ではなくこの時点で初めて転職を視野に入れた。

能力の証明

ただ、そうは言ってもこの時点で僕の保有資格は普通自動車免許のみ。不安だった僕は能力の証明としてとりあえず簿記検定を受けてみようと考えた。しかもいきなり2級から独学で。

なぜ簿記検定なのか、当時を思い出してみると、簿記検定持ってれば大抵どこでも大丈夫だろうとか、いきなり2級受かればそこそこ適性あるよねとか、とりあえず受けてみようとか、甘い甘いパルスイート。

自慢じゃないが僕は高卒だし商業科出身でもない。簿記の勉強なぞ触れたこともない。それでも受かるんじゃ?という謎の自信があった。なんでだ。

結果 当然の不合格

内心ショックを受けている僕に、嫁は

教材費無駄になったねー

とか

せっかく時間あげたのにねー

と優しく慰めてくれた。

ちなみに嫁は簿記3級を持っている。きっと僕は心のどこかで嫁に負けたくない気持ちもあったのだと思う。ガッデム。

最大の間違い

不合格になった僕は急速に転職への意志が無くなり、早期退職へは応じなかった。

後々考えると、この決断が最大の間違いであったのではないだろうか。この後数年間店長をやったのだが、その価値を履き違えたために転職活動に苦労することになる。 

一概には言えないが、接客業の人は労働環境の問題からか、その場の状況に流されて、気がついたらいつのまにか時が流れて…なんてことがあるんじゃないだろうか。まさにゆっくり絞め殺される罠だ。これについては別の機会にまた詳しく書きたいと思う。

その後会社は立て直しに成功したが、この早期退職で50人ほどの人が辞めていった。

伝え聞いた話では、退職者の再就職は皆難航していたらしい。それみたことか。

僕のように考え直せば良かったのだ。僕のように転職なぞ諦めれば良かったのだ。そんなふうに辞めていった人達のことを考たこともあったが、今の僕も残った人達に同じように思われているのだろうか。

 

2度目の転機【結婚と育児】

それから数年後、僕は再び転職を強く考えざるを得なくなる。

30歳を少し過ぎた頃に結婚をし、数年かけ子供にも2人恵まれた。そうするとそれまでは夫婦二人で2DKの社宅に住んでいたのだが、色々と問題が出てきた。

謎のルール

僕は、二人目の子供が産まれた際「子供が生まれたことで、現在の社宅では手狭なので、できればもう少し広いところに引っ越させて欲しい」と上にお願いしたのだが、その時の本社からの回答で初めて

家族が何人であろうが社宅は2DKまでである

という謎の規定があることを知らされた。

『それが嫌なら全額自腹で払ってね♡』ということだ。理由としては

みんな平等じゃないと不公平だから

なんだそれは。

正直、住宅手当が無い会社など世にごまんとあるだろうしそれは仕方ない。

ただ、それは転勤問題が絡んでくるとまた話が変わってくる。

 

会社としての問題(自分目線)

僕の会社は全国で店舗を運営しており、店舗ごとの所在地は決して近くない。従業員は常態的に転勤があり、実際僕も10年間で4回の転勤を経験した。

それ自体は他の会社でもあることだし仕方ないのだが、問題は意味のある転勤が少ないということだ。実態はほぼ欠員などの穴埋めのための転勤。ひどいときは、本社の部長クラスが欠員の穴埋めのため、店舗で週5で勤務していたこともある。まさに名ばかり管理職の鑑だ。

頻度としても、例えば1か月に一回転勤をさせられるような場合もある。これは独身であっても家族持ちであっても扱いは変わらない。

引っ越し費用は、引っ越しを伴う転勤の場合は会社負担だが、社宅家賃は折半だ。しかも5:5ではなく、会社3:自己負担7

家賃が出るだけましという意見もあろうが、そう言えるのは独身のときまでだ。

 

選べる選択肢は

ここで整理したいのだが、家族4人の僕がもし今後転勤を命じられたとき選べる選択肢は以下の通りだ。

  1. 自分だけ単身赴任
  2. 家族ごと毎回転勤

当たり前といっては当たり前だ。

だが、例えば1の場合は自分の社宅家賃と家族の家賃を負担することになる。その当時の僕の年収ではかなり厳しいことが予想された。また労働時間が深夜に及ぶことから勤務時間や休日が不安定で、まともに家族と会えないことも懸念された。つまり会社としては『家族ごと引っ越せばいいじゃん♪』ということだ。

2を選んだら家族は転勤族だ。社宅の広さは初めは我慢できても将来的には無理だろう。しかし僕にはそれよりも子供を転勤族にすることに抵抗があった。子供は可愛い。目が細くて第一印象は良くないし、片手で数えられるほどしか友達がいないコミュ障だし、どこを切っても僕そっくりだ。そんな可愛い子供が何度も転勤した地ですんなり友達を作れるとは到底思えない。それだけは避けねば。

 

抵抗

広い社宅への変更を断られた後、家族とも話し合って、僕らは住んでいた社宅を退去し近くの団地へ引っ越した。もちろん社宅より広いところだ。引っ越しにかかった費用や今後の家賃は当然全て自己負担だが、今後のことを考えればやむを得ない判断だった。実は家の狭さ以外にもうひとつ理由があり、今の社宅からではもうすぐ小学校に入学する上の子が、学区の問題で通学に片道30分かかってしまう。しかも電灯も少ない薄暗い道だ。これはいただけない。

僕は本社に「広くなくてもいいから、少し離れた社宅へ変えられないか」と交渉した。それに対する本社の返答はこうだ。

自己都合での自己都合での転居は転居は認められない

お前の血は何色ですか?

こうなったら転勤があろうがなかろうが引っ越すしか選択肢はない、だから引っ越した。後から知った話だが、僕と同じような末路を辿った社員はけっこういたらしい。

そしてそれから程なくしてあえなく僕は転勤の内示を受けることになる。

 

そして転職へ

言い訳をするならば、精神的にも肉体的にも疲れ切っていた。

僕のいた接客業はいわばエンターテイメント産業とも言える業種で、人々の余暇によって支えられている仕事だ。ところが人の趣向が増えるほど反比例するように売上は悪化していき、回復の兆しは一向に見えなかった。

僕ら店長は利益をあげる責任がある。同僚や一緒に働くスタッフと支え支えられてなんかと頑張ってきたが、限界はとうに超えていた。

僕らはマジシャンではない。無から有は造れない。

上層部はそれでも

努力が足りない

知恵が足りない

と圧力をかけ、削る経費が存在しなくなった後は、ありもしない財宝を発掘するが如く気合いで人から毟り取れと嘯いた。

輪をかけるように、 折しも世の中は空前の売り手市場で、どこもかしこも人手に困っていた。特に僕ら接客業は人気の無い上最低賃金スレスレの時給で擦り切れるほど働かなくてはいけないので、○ウンワークで松っちゃんが吠えようが○イトルドットコムでAKBが踊ろうが求人広告に掲載するぐらいでは全く人は集まらなかった。負担のかかる既存スタッフからの不満の噴出、毎日毎晩土日月関係なくかかってくる上司からの電話。

糸が切れたのは、一緒に頑張ってきた同僚二人が立て続けに辞めたときだった。

ひとりは表向きは自主的だったが内心ではどうだっただろう。よく本人がいないところで『あいつは無能だ』と吐き捨てていた上司の言葉を思い出す。もうひとりに至っては僕と同じ家族持ちで、異動の辞令を受けても家族と離れるのを選ばず、片道2時間以上の通勤を強いられ体調を崩し、謂れ無い降格処分を受けたうえでの退職だ。

この会社はダメだ、人をモノと考えている。

一度そう思ってしまったらもう負のスパイラルだった。僕はここから転職を決断するのにひと月とかからなかった。

だが待って欲しい。今思えばこれも危険なルートの一つだと思う。人に流されるのは転職の判断としてはアウトだ。

一緒に働いてきて、同じようなタイミングで辞めるのだから、同じような転職活動になるはずだ、なんていうのは妄想に過ぎない。

チャンスは平等でないことは、しばらく後に思い知る。

 

こうして僕は、20年間近く働いた最初の会社を退職した。

退職した時点で特に次の仕事のアテはなく、相変わらず資格は普通自動車運転免許のみ。無謀といっても差し支えないだろう。その後の転職活動の結果がそれを裏付けいるが、それについてはまた別の機会に。

 

余談だが、上司から異動の話が来た時点で

じゃあ辞めます

と言ってやった。だがそんなみみっちいジャブをくれてやったぐらいでは上司という連中はダメージを受けない。結局は残った人間でなんとかなってしまうのだ。